このチャンネルの主である「ゼロ」さんの歩みとは?
インドの修行時代について詳しく教えてください
- 塩分が非常に少なく、玉ねぎやニンニク、唐辛子(チリ)も含まれない自然なスパイスを使ったアーユルヴェーダの食事でした。
- アーシュラムにいる牛から絞った新鮮なミルクや、手作りのギー(精製バター)、削りたてのココナッツが使われ、薪を使った大きな釜で調理されていました。
- 食事は食べ放題でたくさん食べていたにもかかわらず、 非常に消化吸収が良いため胃もたれせず、排泄物(便)もほんの少ししか出なかった そうです。
悟りを得るに至った経緯は?
「悟り」への見解と現在の心境 をくわしく。
- 「活動する自分」と「眺める視点」の重なり 「ゼロ」という個人として生活し、活動している自分に繋がりながらも、同時にそれから離れて「眺めている」という感覚が常にダブって(重なって)存在していると語っています。
- 自分の人生に対する「引いた」感覚 自分の過去や身に起きた出来事について話すとき、まるで他人のことを話しているような、引いた感覚や違和感があるそうです。自分が作詞作曲した音楽でさえ「自分のものだ」という思いがあまりなく、勝手に湧き上がって展開しているものをただ見ているだけ、という感覚を持っています。
- 本心からの「どうでもいい」という境地 YouTubeの活動や世の中の様々なことに対して、本心ではあまり関心がなく「どうでもいい」と感じているそうです。しかしこれは無関心や自暴自棄という意味ではなく、言葉では表現しがたい感覚だと述べています。チャンネルで話すのも、ただ「内から湧いてくるからやっているだけ」であり、何か特別な期待や目的(多くの人に広めたい等)があるわけではないと語っています。
- ゲームのような感覚と執着のなさ コメントやチャットでのやり取りも、真剣にやっているように見えて、実は学生時代に培った議論の技能を使って「ゲームをしているような感覚」がどこかにあるそうです。人からどう思われるか、どう評価されるかといったことには気を取られず、ただその瞬間瞬間に湧いてくるものに集中し、任せている状態だとしています。
「すべては苦(ドゥッカ)」という言葉の真意は?
「変わらないもの(常住のもの)」とは何ですか?
- 時間や空間に制限されないもの 私たちの肉体や心は常に変化し続ける「永遠ではないもの」ですが、「変わらないもの」は時間や空間といった枠組みに縛られず、変化しないものを指します。
- すべての変化が起こるための「ベース」 世の中のあらゆるものが移り変わっていくという変化が起こり得るのも、その根本に「変わらないもの」がベースとして存在しているからこそ成り立っていると説明しています。
- 執着を手放した後に残るもの 常に変化する肉体や心を「自分だ」と思い込むことをやめ、永遠ではないものへの執着から完全に離れた時に、最終的に残るのがこの「永遠なもの(変わらないもの)」です。
- 実のところ「それだけしかない」もの 変化するものへの執着を払っていくと常住のものだけが残り、言葉を換えれば、実際のところ世界には「変わらないもの(常住のもの)だけしかない」のだとゼロさんは語っています。
「常住のもの」を意識するための日常的な修行とは?
「私」という主体を忘れ、客観的に自分を観察するコツは?
自分を「疑う」ことが、なぜ執着を手放すことにつながるのですか?
「常住のもの」だけがあるとはどういう感覚ですか?
「影(変化し続ける肉体や心、世界)」映し出されるメカニズムは?
自分の内側から世界を作り出している、という感覚を詳しく知りたい
瞬間瞬間に自分の内側から浮かばせて作り出していることについて詳細に。
今の日常で「私」という幻想を見破るには?
自分の心の反応プロセスを観察する方法を教えてください
- 肉体(感覚器官)を通して外からの刺激や情報を受け取る。
- 心がその刺激に対して自動的に反応する。
- その反応を「悲しい」「苦しい」「幸せだ」「心地よい」と解釈する。
- その解釈を記憶や印象として自分の中に蓄積していく。 この過程をよく観察することを習慣にしていく必要があります。
- パワンムクタアーサナのような、シンプルで何でもないような動きを行います。複雑な動きでは観察に集中できないため、シンプルなものが適しています。
- 体を動かしながら、一定時間ポーズを止めます。
- その状態で自分の呼吸に意識を向け、体の状態や、心の中でどう感じ、どう受け取っているのか(心の反応)をじっくりと観察する時間を作ります。 こうした観察のために特化されているのがヨガの行です。
「行為をただ行為としてなす」ための具体的なコツは?
- 1. 「私」が行為の主体ではないと見抜く 私たちは普段「自ら考え、選択して行動している」と思い込んでいますが、実際には**行為は「自分の内からただ湧いてきて展開しているだけのもの」**です。そのため、「自分が選んでやっている」という錯覚を捨て、その実態を見失わずに行動することが重要です。
- 2. 見返りや期待を一切持たない 「人から評価されたい」「自分が救われたい」「気分を良くしたい」といった期待や目的を持って行動すると、それが世間的にどんなに善い行いや聖なる修行であっても、結果として**「私がここにいる」という自我(エゴ)の餌となり、迷いや囚われを強固に塗り固めてしまいます**。そのため、見返りを求めずに行動することが不可欠です。
- 3. 自分の力を「供え物」のように捧げる 他者からの評価や結果を気にするのではなく、その瞬間にできる自分の持てる知識や技術を**「供え物(捧げ物)」として捧げるようなつもりで、目の前のことに真剣に取り組む**ことが推奨されています。
- 4. 他者の評価(自意識)に囚われず没頭する 人前での発表や仕事などで「人からどう思われるか」を気にするのは、実際には他者のことを考えているのではなく、「自分」の想念に意識が向いて囚われている状態です。この自意識が湧き上がると思考がごちゃごちゃになり、本来の力が発揮できなくなってしまいます。評価を気にしすぎず、ただひたすらに今できることに没頭し、我を忘れて取り組むことが大切です。
「行為をただ行為としてなす」ことがなぜ執着を手放すのですか?
「意識を繋げた次元に応じた世界の展開」とは?
自分を投げ出すような「勇気」とはどういうもの?
「行為を供え物として捧げる」とは具体的にどう意識すれば良いですか?
- 評価や見返りを完全に脇に置く 「人からどう評価されるか」「これをやったらどんないいことがあるか」といった期待や結果への執着を、その瞬間だけは頭から追い出します。
- 今持っている「自分のすべて」を出し切る その瞬間に自分が持っている知識や技術、できることを出し惜しみせず、一生懸命に発揮することを心がけます。全身全霊とまではいかなくても、今の自分にできることをただ真剣にやり遂げることに集中します。
- 日常のあらゆる場面で行う これは仕事や人前での発表に限らず、日々の料理や家事、あるいはヨガなどの行(修行)においても同じです。あらゆる行動を「今の自分を供え物として捧げる」つもりで取り組みます。
常住なるものの起源は?
常住なるものの論理的起源を解説できますか?
カシミール・シェイヴィズムやサーンキャ哲学でいう存在論、有論的解説は?
「すべては神聖な振動である」という感覚を詳しく教えて
「実在からの呼び声」とは、日常のどのような瞬間に現れますか?
「すべては神聖な振動である」ことを体感する方法は?
「すべては神聖な振動である」という気づきの恩寵とは?
「神聖な振動」を体感するために意識を奥へ移す練習とは?
物質的な情報を見る割合を減らすとは、具体的にどうすれば?
物質的な情報より奥の感覚に意識を移すコツは?
「物質的な情報を飛び越えて見る」具体的な練習方法は?
- 人と対面する時、 相手の肉体や表情、動きといった「物質レベルの情報」をあえて見ないように意識する 。
- もしそれらの視覚的・物質的な情報が見えたとしても、 その表層を意図的に「飛び越えて」、その奥から感じられるものや、自分の内側でもっと感覚的に感じられるもののほうへ心を向ける(シフトさせる) 。 初めは意識の向け所をシフトさせる練習が必要ですが、日常的にこれを繰り返すことで、五感に心を奪われず、奥にあるものを感じ取れるようになっていきます。
- ただ体を動かすのではなく、 自分の肉体を動かしながら呼吸とともに「その状態はどうなっているか」をじっくりと観察 します。
- 肉体だけでなく、自分の「精神(心)」の反応も含めて観察を続ける ことで、やっていくうちに自然と感性が育まれ、微細なものを捉える力が情勢されていきます。
物質的な情報と奥にある振動の違いをより詳しく
物質的な情報と奥にある振動はどう繋がっていますか?
「神聖な振動」と「実在からの呼び声」の関係は?